人の気も知らないで・・・

今日は、ただでさえ疲れた日なのに、仕事が終わったときに(多分悪意ではないと思うんだが)酷く落ち込むことになった。
更衣室で、一緒になった仕事仲間に、「お子さんは、いくつになったの?かわいいでしょう?いつまでも職場にいないで、早く帰ってあげないと」といわれたのだ。きっと、軽い気持ちで言われたのだろうし、人生の先輩として自分に対するアドバイスだったんだろうと思う。が、笑顔で対応するのが、精一杯だった。多分、その顔も引きつっていたことだろう。自分の状態を知っている人が、フォローに回ってくれたのだが、それも落ち込ませた。「子供の作り方よく知らないンダよ。それとも、もう少し新婚気分で生活したいんじゃない?」
一年ぶりに、自分で自分を罵倒したくなった。産むことができなかった自分に。
自分では、できるだけ穏やかに「あまり会えないから、ナカナカチャンスが無くて・・・」とごまかしては見たモノの、「数じゃなく、ピンポイントで勝負しないと。子育ては、体力が無くなってからじゃ辛いよ」と言われた。
今さら若返られるモノでもないし、自分なりに努力もしたし、実際生まれて来られなかった子もいる、生まれて欲しかったのに・・・
ずいぶん自分では、割り切っていたつもりだが、全然割り切れていない現実が、自分の心の中にある。そのことを、再認識させられ、忘れたと思っていたことがくすぶっているのに気付いた。

きっと、いった人は、一年前に自分が切迫で入院したところの情報しか待たなかったんだろう。それは判るつもりだし、大人数の職場だからその後をしらない人がいても仕方ないと理性では何とかなるんだが、感情はどうしようもない。

これも、自分が選んだ結婚生活の弊害なんだろうか?
どこかで気分転換をしないとやりきれない。
身体は、すごく疲れているんだけど、心が、久しぶりにささくれ立っている。
もしこれが、一年前なら、笑顔での応対も難しかったんだろうな・・・

夫婦って、子供がいないとダメなんだろうか?確かに欲しいけど、ダカラって全員が持てるもんじゃないという事実を、社会の人は、知るべきだと考える。

でも、子供のためだけに仕事を辞めて、相棒の所に行く気にはなれない。これも自分の我が侭なんだろう。
妊娠、出産はどこで同転ぶかは分からない物だ。子供が産まれたときに、初めておめでとうで良いんじゃないか?もしくは、安定期に入ってから、良い子が産まれると良いね。グライの言葉が嬉しいのかも知れない。

久々に、感情のままに、日記を書いてしまった。